思い返せば、僕は中学生時代からひきこもりになりそうな雰囲気はあった。
「完全な不登校」ではないにしても、休みがちだったり、友達と上手く付き合えなかったり。朝起きるのが辛くて遅刻もしていた。
傾向的に「将来はニートになりそうな人物」に見られていたかもしれない。そういえば、僕の頃はまだ「登校拒否」とも呼ばれていた。(分かる人はオッサンかもw)
それでも気心しれた友人はいたので、休みがちでも友人と話すために登校はしていた。
あまり意識していないけれど、高校進学には出席日数なども必要。
もちろん不登校生でも行ける高校はあったけれど、僕の苦手な不良グループが行くような高校になるので、いじめられたりする可能性から嫌だなと思っていた。
そんな僕なので、高校に進学するとあっという間に「本物の不登校生」になってしまう。
ぼくのようなタイプは多いらしい。夏休みなどの大きな休みの後に学校に来なくなる子や、進学など転機となるキッカケは生活の至る所にある。
休みなどで、ちょっと間を空けると、学校に行くのが面倒臭い感覚がでるが、あれの延長と考えてもらうとわかりやすい。
また面倒臭いというほど単純な話でもなくて、本当に身体に不調が出たりする人もいる。僕は人間関係につまづいていたが。新しい環境に対応できないところが子供の頃からあった。
なぜ僕は高校にいけなくなったのか。昼夜逆転の影響とは。
人間関係につまづくといっても、なぜ高校にいけないのかを詳しく説明しておく。
まず高校は当然ながら地域単位の集まりではなくなったから。電車やバスを使わないと通学できない人が出てくるくらい色んな場所から集まる。
人によっては1時間以上も通学に時間をかけていたり。とにかく育った環境に捉われずに集まる。僕には、これらの集まりに適応するコミュ力がまるで無かった。
小中はなんとなく子供の頃から知っている顔ぶれがクラスにいた。それが高校になると、地元の子がほとんどいなくなる。もちろんゼロではないので、数人は同じクラスになるのだけど。
その数人がもともと地元中学で仲が良いメンツか?というとそうでもない。話した事がないような人たちと同じになってしまっていた。
こうなると孤立状態。どんどん出身中学に関係なく、友達グループを作っていくクラスメンバー。
「このままでは不登校になりそう」というプレッシャーも感じたが、本当に数日でクラスにいられなくなった。
学校でのストレスを夜にゲームをする事で埋める。こんな事をして、昼夜逆転も起こり始めた。学校に行くよりストレス発散の生活スタイルだ。
昼夜逆転を治すため、朝は頑張って起きようとするのだけど難しい。眠たいまま学校に行っても、けっきょくは眠いので休み時間はぐったり。
そんな事をしていると、さらに友達グループから孤立が強まり居心地が悪くなった。そのまま不登校一直線とは僕のような人の事を指すのだろう。
不登校、引きこもりくらいで”逃げグセ”がつくと思うな
学校に行かなくなって、昼夜逆転を治せなくなった。さらに学校という場が、耐えられない場所に感じて中退を選んだ。
中退手続きは親に止められながらも、「結局は行かないんだから」と無理やり辞めた。親という立場上、学校だけは不登校から復帰して通って欲しいと思った様子。
かなり喧嘩して揉めたので、家族内で険悪なムードがしばらく続く。
ここから、ひきこもり生活に入るのだけど家族もストレスを抱えていた。何しろ、昼夜逆転を戻すこともしないまま、夜中にはゲーム三昧。
朝昼逆転は不登校やひきこもりの人に多いと思うが、朝になって寝た方がスムーズに眠れたのでぼくは止めなかった。
ひきこもりの息子に話す言葉も無かったのか、親ともあまり話さなくなっていた。ひきこもりの親は大変だと思う。
僕がいうのも変だけど(笑)今は働いているので、普通の生活という感覚がわかるが、ひきこもりの最中は暴走していた。
父親は僕の不登校からひきこもりの状態を「逃げグセがついた」と評した。
逃げグセが一度つくと、一生人生を逃げる甘えになると思い込んでいたので、かなり厳しい事を羅列してくる。
でも今の僕を見る限り、不登校だろうが引きこもりだろうが、来るべき時が来たら動き出すと思うんだけど。
このまま3年間、高校に行くはずの時間をこういった形でひきこもりとして過ごした。
空白期間として、何もしなかったという記録は残っているけど、この頃の僕にはこれ以外に選択する道がなかった。
せいぜい家事手伝いをしていたというところだが、家族と生活リズムがまるで違うので、ほとんど何もしていない状況。
不登校、ひきこもりに甘えナシ!逃げは誰もが経験する程度問題!
不登校やひきこもりに対して、「人生は一度でも逃げると逃げ癖がつく」と迷信を吐く人がいる。
しかしこれは大間違いで、そう言っている人も必ず避けている事はある。人間関係でも、どうしても避けたい人などいると思うが、その程度の差が違うだけ。
僕は学生時代にどうしても付き合い方がわからない人達が多くて悩んだが、それも年齢と共に解消されて苦手ながらも付き合いはできるようになっている。
今の職場も苦手な人はいるが、いつどのタイミングで苦手が解消できるかわからないだけの話。
学校に行けないほど、ひきこもるほど適応できない人も世の中にはいる。人間がみんな同じ感性だと思うなよ?と僕は言いたいのだ。
ここに程度の差はあれど、「甘え」という概念は存在しない。人によって成長速度が違うように、対人コミュニケーションスキルも伸び方が違う。
準備期間としてひきこもりを捉える人が増えると、彼らの閉塞感は薄れて行くという事をキモに免じておくように。
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